【生涯年収7億円!?】岡本光一氏の職業は財団法人の代表理事!キーエンス時代のエピソード3選を紹介!

宝塚市に254億円を寄付したことで話題となっている岡本光一氏

現在の職業は何をしているのか気になる方も多いようです。

岡本光一氏の現在の職業は、公益財団法人プラザ・コムの代表理事として活動しています。

公益財団法人プラザ・コムは、宝塚福祉コミュニティプラザを運営する法人で、2002年に岡本光一氏が私財37億円を投じてつくりました。

そんな岡本光一氏の元の職業は、上場企業である株式会社キーエンスの元役員でした。

キーエンスといえば、現在は在籍している社員の生涯年収が7億円とも言われる営業会社ですが、岡本光一氏は、キーエンスの創業初期のメンバーです。

岡本光一氏の職業に関するエピソードが多くありましたので、岡本光一氏の職業に関するエピソード3選と題して紹介します。

目次

岡本光一氏の職業に関するエピソード3選

ここからは、岡本光一氏の職業に関するエピソード3選をご紹介します。

岡本光一氏の職業に関するエピソード3選
  • キーエンス入社は偶然!
  • 上司でいることが苦痛だった!
  • ボランティアは辞めるための口実だった!

現在はボランティアで宝塚市に多大な貢献をしている岡本光一氏ですが、キーエンス時代には、数多くの職業に関するエピソードがあるようです。

それでは、岡本光一氏の職業に関するエピソード3選を詳しくみていきましょう!

エピソード①キーエンス入社は偶然だった!

岡本光一さんがキーエンスに入社したのは、まさに偶然の産物でした。

もともと電子技術者として回路設計をしていた岡本さんですが、30歳手前で失業という厳しい現実に直面します。当時は不況の真っ只中で、いくつもの企業に応募したものの、なかなか採用には至りませんでした。

そんなとき、ふと目にしたのが小さな新聞広告で、その求人に応募してみたところ、あっさりと採用が決まったのです。

この会社こそが、後に日本を代表する企業の一つとなる株式会社キーエンスでした。(当時の会社名は、リード電機)岡本さん自身も、まさかこの出会いが自身の人生を大きく変えるとは思っていなかったでしょうか。

入社当初、キーエンスはまだ小さな会社でしたが、岡本さんは仕事を始めるとすぐにその面白さに引き込まれていきます。

特に、社長から「これからオートメーションのセンサーが売れる」と言われたことが転機となり、開発に没頭する日々が続きました。この製品は大ヒットし、会社は急成長を遂げ、上場企業にまで成長します。

岡本さんのキーエンス入社は偶然の出会いでしたが、その後の努力と情熱が大きな成功をもたらしました。偶然の出会いが、人生を大きく変えることもあるのです。

エピソード②上司でいることが苦痛だった!

キーエンスでの成功を収めた岡本光一さんですが、その裏には意外な苦悩がありました。

技術者としての才能を発揮し、会社の成長に大きく貢献した岡本さんは、やがて管理職として多くの部下を持つ立場になっていきます。

しかし、この「上司」というポジションが、岡本さんにとって大きなストレスの原因となっていきました。

岡本さんは根っからの技術屋で、人を管理したり指導するよりも、自分で手を動かしてモノを作ることに喜びを感じるタイプです。

しかし、会社の成長に伴い、求められるのはチームのマネジメントや部下の育成でした。特に、業務の成果や数字で人を評価しなければならないことに強い違和感を抱くようになります。

例えば、部下に指示を出す際も、自分が直接作業した方が早くて確実だと感じることが多く、次第にフラストレーションが溜まっていきました。また、部下との関係性も単なる仕事上のものであり、そこに人間的な温かさや繋がりを感じにくかったことも岡本さんにとっては大きな負担だったのです。

このような日々が続く中で、「自分はこのままでいいのだろうか」という思いが次第に強まり、ついに社長に辞意を伝える決断をしました。

たとえ成功していても、自分に合わない環境にいることが大きなストレスになるということですね。

エピソード③ボランティアは辞めるための口実だった!

岡本光一さんがボランティア活動を始めたきっかけは、実は純粋な奉仕の精神からではなく、会社を辞めるための「口実」として使ったのが最初だったそうです。

キーエンスで成功を収めた岡本さんは、上司となり、部下の管理が仕事のメインになっていき、ストレスが積み重なり、ついに「辞めたい」という思いが抑えきれなくなりました。

しかし、ただ単に「辞めたい」と言うのは気が引けた岡本さんは、辞職の理由として「ボランティアをしたいから」と社長に伝えました。

この時点では、具体的にどんなボランティアをするかは全く考えておらず、岡本さん自身、「今考えると、なぜあの時ボランティアという言葉が出たのか分からない」と振り返っています。

ところが、運命のいたずらか、その翌年に阪神淡路大震災が発生します。

辞めた理由が「ボランティアをしたいから」だった手前、実際に何か行動しなければと感じた岡本さんは、震災直後に現地に駆けつけ、仮設住宅の建設支援や段差解消といった作業に携わるようになります。

最初は義務感から始めたこの活動でしたが、現地での人々との交流や地域コミュニティとの関わりを通じて、岡本さんは次第にボランティアの魅力に引き込まれていきました。

なんとなく発した「ボランティア」という言葉が、現在の岡本光一さんの活動の中心になるとは本人も思わなかったかもしれませんね。

【生涯年収7億円!?】岡本光一氏の職業は財団法人の代表理事!キーエンス時代のエピソード3選を紹介!まとめ

今回は、「【生涯年収7億円!?】岡本光一氏の職業は財団法人の代表理事!キーエンス時代のエピソード3選を紹介!」と題して、岡本光一氏の職業に関するエピソードを紹介しました。

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